石川佳純選手の家族構成は父親と母親に兄弟姉妹に妹が一人いて、みなさん卓球で活躍する卓球家族でした。
お母さんの久美さんはハーフ説もある美人ですが、母方の祖父母はどちらも和名だったのでハーフ説は誤りのようです。
ここでは石川佳純選手のご両親のルーツや、石川佳純選手にまつわるエピソードをまとめました。
情報は主に取材記事やインタビュー記事をもとにまとめたので、石川選手とご家族にに関する確かな情報を知りたい方の参考になれば幸いです。
石川佳純の家族構成は父親と母親に兄弟姉妹に妹が一人!卓球家族のエピソードを調査
引用:日刊スポーツ 左から父、妹、石川選手、母
石川佳純選手の家族構成
- 父親:ミックスダブルスの日本代表経験あり
- 母親:国体の山口県代表に3度選出
- 石川選手
- 妹:全日本学生選手権ベスト8の実力
ご両親は福岡大学卓球部の同期で、お二人とも大学卒業後は選手として活躍しましたが、結婚を機に山口県に移り住みます。
両親から石川選手や妹の梨良さんに卓球をやれと言ったことは無いそうです。
ただ、両親がどちらも卓球を続けていたので、ご両親を見て卓球に興味を持ったのかもしれませんね。
ここからは卓球家族である石川家と、石川選手にまつわるエピソードをご紹介します。
石川佳純選手の父親はミックスダブルスの日本代表経験もある公久さん
引用:山口市倫理法人会交流会
石川佳純選手のお父さん
- 名前:公久(きみひさ)
- 生年月日:1963年8月7日
- 出身:福岡県福岡市
- 学歴:福岡大学卒業
- ミックスダブルスの日本代表経験あり
石川佳純選手のお父さんは公久(きみひさ)さんという名で、島根県松江市出身の1963年生まれ、2024年に61歳になります。
2024年2月23日放送のNHK「ファミリーヒストリー」の番組情報によれば、祖父の四郎さんは曾祖父が病気で働けなくなってしまい苦労しますが、工業高校を卒業後、広告代理店の営業マンとして働いたそうです。
祖母の喬子さんと結婚後、公久さんは石川家の長男として生まれます。
お父さんの先祖は石見銀山にも関わる家系で、苦難を「天性の明るさ」で乗り越えてきたそうなので、自宅に卓球場を作るという思い切りの良さがあったのかもしれませんね。
大学卒業後は日本の卓球用品メーカー日本卓球株式会社(ニッタククラブ)に所属しましたが、結婚を機に山口県に移住し、地元のクラブに入って卓球を続けていました。
父の公久さんは祖父四郎さんに憧れて広告代理店(読売広告西部)の営業マンとして働いているそうです。
現在は福岡で単身赴任中で、週末に山口の自宅に帰ると「石川佳純以上の選手を育てる」という目標のもと、卓球教室の子どもを指導する生活なんだそうです。
「『卓球をやりなさい』と言ったことは1度もない。急に本人がやりたいって言い出したから、じゃあやろうかっていうぐらいだった。今の強い選手って結構小さい時から親御さんがスパルタでやったりとかしてるけど、うちはそんなのほとんどなかったなあ」
引用:日刊スポーツ
卓球選手って小さい頃から熱血指導を受けているイメージなんですが、石川選手はそういったことは無かったそうで、小1でラケットを握り卓球を本格的に始めたのも7歳からなんだそうです。(参考までに福原愛選手が卓球を始めたのは3歳)
小学2年生で全国バンビの部で優勝。父公久さん(57)は意を決した。アパート暮らしをやめて家を買う。1階に卓球場、2階に住居という特殊な構造のため業者を探すのも大変だった。
引用:日刊スポーツ
ただ、当時は近くに練習場がなく2時間かけて練習場に通っていたそうです。
石川選手が小2の時に全国バンビの部で優勝したのを機に、自宅に卓球場を併設した家の購入を決意したそうです。
確かに移動に2時間ってかなり時間の無駄ですし、何より送迎する親もかなりの負担になりますからね。
石川佳純選手の母親がハーフ説はデマ!国体の山口県代表に3度選出経験ある久美さん
引用:JTTA指導者養育委員会
石川佳純選手のお母さん
- 名前:久美(くみ)
- 生年月日:1963年8月7日
- 出身:福岡県福岡市
- 学歴:福岡大学卒業
- 元卓球女子日本代表コーチ(ロンドン、リオ、東京)
- 産後に国体の山口県代表に選出経験あり
石川佳純選手のお母さんは久美(くみ)さんという名で、旧姓は小川です。
福岡県福岡市出身の1963年8月7日生まれ、2024年で61歳になります。
久美さんは美人でハーフなのでは?という噂もありますが、2024年2月23日放送のNHK「ファミリーヒストリー」によると、母方の祖父は末弘(すえひろ)さん、祖母は圭子(けいこ)さんという名なのでハーフという訳ではなさそうです。
先祖は福岡の武士の家系で「黒田官兵衛に忠義を尽くした家臣」、祖父は柔道の達人とのことで、久美さんの身体能力は祖父譲りだったのかもしれませんね。
久美さんは高2と高3でインターハイに出場し大学の卓球部で公久さんと出会いますが、歓迎会で公久さんが替え歌で部員みんなを笑わせたことに驚いたそうです。
結婚するまでは福岡日産自動車で卓球選手として活動していましたが、結婚を機に山口県に移住、出産後に活動を再開し国体の山口県代表に選ばれています。
母は佳純を乳児の頃から、1分以上泣かせたことがないという。
~2歳から公文、そして3歳からピアノ、バレエ、水泳を習わせた。
引用:ベネッセ教育情報
しかも、よく泣く子だった石川選手を1分以上泣かせることがなかった、超が付く子煩悩ママだったのにです。
石川選手は2歳の時から習い事をはじめますが、それらのフォローもしながら練習時間を確保して国体代表に選ばれるってことがヤバイですよね。
「私にも教えて」
佳純が母にそうねだったのは小1の時。母は正直困ったなと思ったものの、娘の希望を無下にできない。次女も生まれ、てんてこ舞いの日々の中、佳純に卓球を教え始めた。
石川選手が小1になると母 久美さんに「卓球を教えて欲しい」と言ったそうですが、久美さんは既に国体選手に選ばれていたため、石川選手に卓球を教えるということは、久美さんの練習時間を削るということになります。
最初は突き放したそうですが石川選手も引かず、根負けして教えることにしたそうです。
ですが石川選手の上達が早くて、久美さんはだんだんと自分の練習時間を減らし、石川選手を教える時間が増えていったそうです。
自宅に卓球場が出来てからは母である久美さんがコーチとなって石川選手を指導していたそうです。
小5の時、ローカル大会で親子の直接対決があった。国体に3度出場した母は、娘に敗れ「自分の練習はやめて、佳純の指導に一本化する」と引退を決断した。
引用:スポーツ報知
石川選手は早くから才能を伸ばし、小5の時に久美さんとの親子対決で勝利し、これを機に久美さんは現役を引退し、石川選手の指導に専念することを決意したそうです。
ちなみに、石川選手が本格的に卓球を始めたのは7歳、小5というと10~11歳なのでわずか3~4年で国体にも選ばれたことのある母 久美さんに勝利してしまったことになるので、よほどの才能と努力があったことが分かります。
石川佳純選手の妹は2017年全日本学生選手権ベスト8の実力
引用:T.LEAGUE
石川佳純選手の妹
- 名前:梨良(りら)
- 生年月日:1997年6月14日
- 出身:山口県山口市
- 学歴:東京都稲付中学 卒業、東京都帝京高校 卒業、青山学院大学 卒業
- 2010年:JOCエリートアカデミー3期生として入校
- 主な戦績:2017年全日本学生選手権 ベスト8
石川佳純選手の妹さんは5歳下で梨良(りら)さんという名で1997年生まれ、2024年に27歳になります。
梨良さんも卓球をしていて石川選手と同じく7歳から本格的に練習を始めたそうです。
梨良:小さい頃はケンカばっかりしていましたが、さすがに今はほとんどしなくなり、仲良くなりましたね。
引用:GROWING
小さい頃は姉妹でケンカが多かったそうです。ただ3歳差ですし、どこの家でもケンカくらいありますよね。
ウィキペディアによると石川選手が157㎝、T.LEAGUEによると石川梨良選手が158㎝となっていて、今では石川選手よりも梨良さんの方が大きいそうです。
青学大卒業後は就職するため、今季限りでの引退も明言。
引用:スポーツ報知
青山学院大学在学中に「平野美宇」選手も所属する木下アビエル神奈川に所属したようですが、2020年に引退を公表しています。
過去の取材では「姉妹で5輪に」という目標を語っていただけに、23歳での引退は惜しまれますね。
記事は現役引退ともとれる内容なので、一般の会社に就職したのかもしれませんが、就職先の情報は見つかりませんでした。
まとめ
石川佳純選手の家族構成
- 父親:ミックスダブルスの日本代表経験あり
- 母親:国体の山口県代表に3度選出
- 石川選手
- 妹:全日本学生選手権 ベスト8
石川佳純選手の家族構成は父親と母親に兄弟姉妹に妹が一人いて、みなさん卓球で活躍する卓球家族でした。
父は日本代表経験あり、母は国体の山口県代表経験あり、妹はJOCエリートアカデミー3期生に選ばれる実力者揃いの一家でした。
妹の梨良さんは青学卒業後に引退しているようですが、母 久美さんのように国体選手として復帰する可能性もあるかもしれませんね。
次のページでは石川選手の彼氏や好きな男性のタイプについても調べてみました。
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