NHKの朝ドラ「虎に翼」のモデルになった三淵嘉子の両親の死因や父親(武藤貞雄)と母親(ノブ)はいつ何歳でなくなったのか調べてみました。
現在放送中のドラマでは両親共に元気で活躍していますが、史実ではこの後両親が亡くなってしまいます。
ドラマはフィクションなので史実通りに描かれるか分かりませんし、両親の死まで描かれないかもしれませんが、気になっている方の参考になれば幸いです。
ただ、両親を亡くす近いタイミングで、他にも身内を亡くしているので、三淵嘉子がそれでも立ち上がる姿を描くためにも放送されるのではないかと予想しています。
三淵嘉子の両親の死因は?父親(武藤貞雄)と母親(ノブ)何歳でなくなった?
三淵嘉子の両親の死因と何歳で亡くなったか
- 武藤貞雄:61歳、肝硬変にて死去
- 武藤ノブ:55歳、脳溢血にて死去
三淵嘉子の両親は父:武藤貞夫(1886-1947)が61歳、母:ノブ(1892-1947)が55歳で亡くなっています。
両親が亡くなった1947年は嘉子は37歳になる年です。
47年1月には母が脳出血で、同10月には父が肝硬変で死去した。
引用:日刊スポーツ
死因については先に母:ノブが脳溢血で、後に父:貞雄が肝硬変で死去しています。
昭和22(1947)年には男性が50.06年、女性が53.96年であった
引用:内閣府ホームページ
当時の平均寿命は男性が約50歳、女性が約54歳だったようなので、嘉子の両親は平均よりも往生したことになります。
この当時、平均寿命という概念があったのかわかりませんし、仮に平均寿命よりも長生きしたと分かっても、1年の間に両親を失うなってしまっては悲しみに暮れてしまいますよね。
ですが、嘉子を悲しませる出来事はこれだけではありませんでした。(ドラマのネタバレになるかもしれないので以降を見る方はご注意ください)
両親の死以外でも三淵嘉子を悲しませた出来事
さらに三淵嘉子を悲しませた出来事
- 武藤一郎:28歳で戦死
- 和田芳夫:年齢不明、戦病死
両親の死と前後してしまうんですが、三淵嘉子の生家「武藤家」の長男である一郎が1944年に妻子を残して戦死※してしまっていました。
さらに、一人目の夫である和田芳夫が招集先で持病の結核を発症し、1946年に長崎で亡くなっています。※2
※1「三淵嘉子の生涯」佐賀千恵美、内外出版社、2024、p83
※2「三淵嘉子の生涯」佐賀千恵美、内外出版社、2024、p181
この時、嘉子は夫:芳夫の最期を看取ることができなかったそうです。
両親が亡くなったのは1947年なので、短期間に身内を4人も亡くしたことになります。
さらに、長男の残した妻子や3人の弟まで育てていかなければならなくなってしまったんですね。
これだけの出来事が続いたわけですし、ドラマとしてはこんなことがあっても戦い続けた女性を描くためにも、この出来事にはふれざるをえないと考えています。
まとめ
ここでは今後ドラマで描かれる可能性の高い、三淵嘉子の両親の死因や何歳で亡くなったのか、さらに両親の死以外で嘉子を悲しませた出来事をまとめました。
次のページでは一人目の夫:和田芳夫や、その後再婚した三淵乾太郎の享年についてまとめました。
次のページでは三淵嘉子に孫がいたのか調べてみました。
次のページでは三淵嘉子の初婚時、再婚時、生家での家族構成をまとめました。
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