三淵嘉子と夫の年の差はいくつ?死因と何歳でなくなった?享年は?

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NHKの朝ドラ「虎に翼」のモデルとなった三淵嘉子と夫の年の差はいくつで死因は何で何歳でなくなったのか調べてみました。

嘉子は一人目の夫:和田芳夫を戦病死で亡くしているので、芳夫についても年の差などを調べてみましたが、芳夫の誕生に関する情報は見つかりませんでした。

そのため、芳夫の年齢は予想ですが、嘉子や乾太郎は亡くなった時の年齢や死因に関する情報が見つかりました。

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三淵嘉子と二人の夫(和田芳夫、三淵乾太郎)の年の差はいくつ?

三淵嘉子と二人の夫の生年月日

  • 三淵嘉子:1914年11月13日
  • 和田芳夫:不明(嘉子から±5歳と予想)
  • 三淵乾太郎:1906年(嘉子から8~9歳年上)

三淵嘉子と二人の夫の年の差を調べてみましたが、一人目の夫である和田芳夫の誕生については記録が残っていないのか、誕生年すら分かりませんでした。

ただ、和田芳夫は嘉子の父:武藤貞夫の「中学時代の親友の甥」で武藤家で書生(住み込みで雑務をこなす学生)をし、働きながら明治大学の夜学部を卒業しています。

「虎に翼」に出てくる佐田優三のように何度も試験に落ちたといった情報は見つからなかったので、ある程度嘉子と年齢が近いのではないかと考えられます。

ドラマの影響もあるのかなんとなく芳夫の方が年上というイメージもありますが、誕生年すら分からないので年下の可能性も捨てきれません。

なので、嘉子の年齢から±5歳くらいなのではないかと考えました。

ちなみに、芳夫と結婚したのは嘉子が28歳になる直前でした。

当時はどうかわかりませんが、28歳で±5歳の差なら特に驚く年齢差ではありませんよね。

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嘉子は昭和31年(1956年)、41歳の時に、9歳年上の三淵忠彦判事と再婚しました

引用:歴史人-朝ドラ『虎に翼』寅子のモデル・三淵嘉子は「女性初」と言われることにモヤモヤしていた(2024.04.16)

二人目の夫である三淵乾太郎については誕生日が分からなかったんですが、早生まれなのか「9歳年上」という記事を見つけました。

ちょっと解釈が難しいんですが「結婚したタイミングで9歳離れていた(学年差は8年)」とも取れますし「早生まれで9歳差(学年差も9年)」ともとれますよね。

なので、嘉子との歳の差は8~9歳上ということにしました。

乾太郎と結婚した年、嘉子は42歳でした。このくらいの年齢であれば8~9歳上でもそれほど驚くような年の差ではないですね。

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三淵嘉子と二人の夫(和田芳夫、三淵乾太郎)の死因と何歳でなくなった?享年は?

三淵嘉子と二人の夫の死因と亡くなった時の年齢

  • 三淵嘉子:69歳
  • 和田芳夫:27~37歳と予想
  • 三淵乾太郎:78歳

次に、三淵嘉子と二人の夫が何歳で亡くなって死因はなんだったのか調べました。

1946(昭和21)年5月23日、芳夫が上海から引揚途中に長崎で病死

引用:明治大学史資料センター所長 村上一博(法学部教授)著,三淵嘉子(みぶちよしこ)—NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)の主人公のモデルとなった女子部出身の裁判官—,明治大学,2023.03 

亡くなったのが早い順に紹介すると、和田芳夫は1945年に召集され中国へ渡った先で、持病の肋膜炎を発病。長崎の陸軍病院で1946年5月23日に亡くなりました。

 肋膜(ろくまく)というのは、ズバリ「結核」のことです。結核は昔、肋膜瘰癧(るいれき)肺浸潤などと呼ばれていました。

引用:肋膜、瘰癧、肺浸潤って何のこと?

先の嘉子の年齢±5歳というのを考慮し、嘉子はこの年32歳になる年なので、和田芳夫が亡くなったのは27歳~37歳と予想しました。

死因については病死や戦病死といった記事が多いので肋膜炎という認識で良いでしょう。

肋膜炎とは結核のことだそうで、結核は昭和20年(1945年)頃まで流行っていたそうです。

この時、嘉子は最期を看取ることが出来なかったそうで、芳夫も息子や妻を残しさぞ無念だったことでしょう。

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三淵嘉子は1984年5月28日午後8時15分、骨肉腫のため69歳で死去※1とする記事があります。

※1「女性初の家裁所長」『朝日新聞』朝日新聞社、1984年5月29日、夕刊、15面。

また、骨肉腫でもあったが最期は肺炎で死亡※2とする書籍もあるようです。

※2佐賀千恵美著,女性法曹のあけぼの,金壽堂出版2013/4/24

そのため、三淵嘉子は69歳の時に骨肉腫または肺炎で亡くなったという認識で良いでしょう。

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三淵乾太郎氏(みぶち・けんたろう=元浦和地・家裁所長)」22日午前1150分、急性心不全のため東京都新宿区の東京女子医大病院で死去、78歳。

引用:日本経済新聞朝刊 1985.08.24

三淵乾太郎は嘉子が亡くなった翌年に、後を追うようにして急性心不全で亡くなっています。78歳でした。

一般的には「妻が先に亡くなると夫も後を追うように亡くなるケースが多く、夫が先に亡くなると妻はその後も元気に生きる」なんて言いますよね。

乾太郎は嘉子にべったりだったという記事も見かけたので、まさにこのパターンだったのかもしれませんね。

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まとめ

NHKの朝ドラ「虎に翼」のモデルとなった三淵嘉子と夫の年の差、死因、何歳でなくなったのかを調べてみました。

和田芳夫は当時の流行り病とは言え、30代前後で亡くなったと思われ、早すぎる死でした。

平均寿命を調べたところ女性の平均寿命は嘉子が亡くなった1984には80歳を突破していたそうなので、少し早い死でした。

男性は2013年に80歳に達したそうなので、乾太郎は当時にしては往生したのではないでしょうか。

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